上司は多くを語らず
私は今でこそ三八五流通の役員で関連会社の社長という立場ですが、キャリアの始まりは三八五貨物弘前支店のアルバイトからでした。東京の大学を卒業した後、地元企業に就職するも、合わずに2ヶ月ほどで退職したころ、三八五の求人を見て応募しました。採用されて一番はじめに任された仕事は農家さんが持ち込んでくるりんごの伝票を書くことでした。ちょうどりんごの収穫時期で、人手が足りなかったんでしょうね。りんごや米を積んだトラックが次々と東京に向けて出ていったかと思えば、首都圏からすごい量の衣類や薬を積んで帰って来たトラックが戻ってくる、電話は四六時中鳴りっぱなし、すごい活気がある会社だなと感じました。 ただ、アルバイトだった事もあり、ずっと三八五で働くなんて思っていませんでした。その年の12月末、職場の上司に「大変お世話になりました」と言ったら「お前、就職決まったのか?」と聞かれ、「何も決まってません」と応えたところ「じゃあ八戸で入社試験受けて来い」となり、正月に面接を受け、正式に採用されました。2年間一心不乱に仕事して、若い頃は成績優秀な店に負けたくないという一心で、色んなことにチャレンジしました。新聞で情報を集め、付加価値の高い野菜をターゲットに営業したり、八甲田のスキー場に訪れる客が荷物を運ぶのに困っているという情報を聞きつけては、トラック一台と受付担当を引き連れてセールスしに行ったりしましたね。予想を上回るすごい量の荷物が集まって、忘れられない成功体験となりました。上司や先輩は、自分で考えてやりたいと思ったことを自由にやらせてくれました。でも要所では次のステップに導いてくれました。今思えば私がやっていることを見ていてくれたんでしょうね。