1947〜
創業期
8台のトラック34人の有志で創業しました。終戦直後、社会や経済が大混乱の最中、「失業者の出ない会社を作り、失業者のない社会を実現する」という信念のもと、社員一同団結し、幾多の苦難を乗り越えました。
当時は地元青森の生鮮物、進駐軍基地の砕石・木材・セメント・石炭を運搬していました。
1955〜
青森と東京を繋ぐ使命
朝鮮戦争が終焉を迎え、進駐軍基地関連の輸送が減少傾向となり、三八五貨物は青森を基盤とした経営から、県外への長距離輸送強化に方針を転換しました。
東京ー青森間の交通インフラが未整備だった当時、日本初の長距離路線免許を獲得し、青森ー東京間でトラックの定期運行を実現させました。
1971〜
物流新時代の先駆者
1971年には東北でいち早く貨物列車と連携したインターモーダル輸送を開始しました。創業者泉山信一は1970年に開催されたIRU(国際道路運送連盟)英国大会出席の際、ヨーロッパ各地を視察し、英国でフレートライナーが普及している光景を目の当たりにし、「近い将来日本でも鉄道とトラックの一環輸送は普及する」という確信を得て、東北で一番先に名乗りを上げました。
1983〜
引越事業の拡大
1980年代初頭からは引越事業を積極的に強化。各拠点に引越しセンターを設置し、電話番号下4桁の数字を「0385」に統一しました。この決断は顧客の利便性を向上させることと、会社内外に「三八五は引越事業を本格的に強化するんだ」と言う強い決意を示す2つの側面がありました。その他にも引越専用車両の導入や引越専用資材の開発など、様々な施策を講じ、東日本におけるシェアを拡大・成長させました。
1985年8月泉山元が代表取締役に就任しました。
1985
東日本を代表する
総合物流企業へ
首都圏の営業拡充の為に拠点を新設し、同時に保管、加工、配送を一貫して行うセンターを開設しました。
貨物輸送会社から総合物流企業として成長と発展を遂げました。
1996〜
貨物から流通へ
1996年、社名を三八五貨物自動車運送から、三八五流通株式会社へと変更しました。
生産者と消費者の間にある【人・もの・情報】を繋ぐことを三八五流通の使命と定めました。
2003年、より地域に密着したサービスを提供することを目的とし、三八五流通株式会社の管理機能と営業機能を事業分社化しました。
業務部門
東京三八五流通株式会社
東北三八五流通株式会社
岩手三八五流通株式会社
秋田三八五流通株式会社
青森三八五流通株式会社
2011
東日本大震災からの
復興に尽力
三八五流通グループは震災発生翌日から復旧支援を開始し、飼料コンビナート被災による飼料の代替輸送や電力会社との災害協定に基づいて、各種緊急人員及び物資の輸送、復旧作業員の派遣を行いました。
被災地の復旧・復興業務として、鉄道コンテナを利用した震災瓦礫輸送や三陸海岸護岸工事に使用するコンクリートの輸送を請け負うなど、東北各地のインフラ回復に尽力しました。
現在
100年企業を目指して
事業エリアの拡大をするため、2021年に札幌と横浜に新拠点を開設し、ネットワークを強化しました。
輸送の共同配送化が進む中、顧客のニーズに迅速に対応することを目的とし、宮城県大衡村の拠点「仙台ロジスティクスセンター」に三棟目となる倉庫を新設しました。
2047年の創業100周年に向け、社是「人の和」のもと、生活を運び、豊さを届け、こころを繋ぐ企業として成長を続けています。